松平勝男先生との対話(1)
「学ぶ」ことの本質や面白さを最初から放棄しない
ここからは、僕が感じた松平勝男先生を、僕との共通点を絡めながら綴っていきたいと思います。
【****】サイトをよくご覧になっている方には、すでにご存知のことと思いますが、【****】代表者が松平勝男先生をご存知です。
そして逆に、松平勝男先生は【****】の存在意義を非常に高く評価していただいているとのことです。
その代表を通して、僕も松平勝男先生とお近づきになれ、時々、書簡の遣り取りもさせていただいております。
やはり、語学・勉強法と多くの著作を出されているのも頷けるほど、極めて知見の広い、「さすが東大法学部」と唸らせる方です。
そう感じることができるのも、そう違わない時代に青春を生きた者として共有できる精神的土壌があるからかもしれません。
(どんな時代にも偉くなりたいだけの人はいますけれど…)
そんなこともあって、僕とは文理の違いこそあれ、非常に近い共通認識を持っておられる方と感じました。
偉そうぶるために勉強する人たち
同じ東大法学部を出ても、政治家や官僚や評論家等有名な人たちを見ると、その名を貶めているような人しか目につきませんから、世間では「東大出ても糞の役にも立たない」「結局、自分らが偉そうぶりたいから東大に行ったんじゃないの?」と思わせてしまっているのかもしれませんね。
僕たち理系の人間から見れば、「事務処理能力さえあれば誰でもできる仕事でしょ。大したこともしてないのに何を偉そうぶってるのよ!」ってところです。
仮にも東大を受験し合格してきたわけですから、人間として全面的な成長を伴っている筈なんですが、やはりそうでもなく合格できる人もいて、そういう人に限って権力志向が強いということなのか、あるいは、合格した途端に全面的な成長を放棄して、権力奪取だけのためのガリ勉君になってしまうということなのか、権力組織に帰属した途端に偉そうぶる方向に走り出してしまうようですね。
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