松平勝男先生との対話(2)
G
メールなどを見ていても、「人生戦略」や「己が人生」というものを全く考えず、目先のことばかりを行き当たりばったりに追っている様を強く感じることも多く、まさに小手先だけで一定のステータスを手に入れたいという身勝手な欲望ばかりが目に付くと感じることも多いですね。
やはり受身的な文化、それも刺激的で享楽的な文化、何か生きる力を吸い取ってしまうかのような文化に対抗しなければ、こういった勢力によって骨抜きの社会にされてしまうのではないかという危惧がどうしても拭えません。
まさに、狂気の沙汰から正気を取り戻したいという気持ちを強く持っています。
M
「戦略」がないままに「戦術」として小手先の業だけを「ウラワザ」として覚えたい人たちへの警鐘の気持ちはあります。
甘い夢を抱く自分を自己否定して、本当に自分がなすべきことに戻って欲しいという願いは全ての本に共通しているんですね。
「記憶術」の達人になろうと『速読術」の達人になろうと、「人生戦略」を過つと、曲芸が出来るだけの変わり者になってしまうのではないでしょうか?
必要な人が必要なタイミングで使ってこそ、戦術は生きるのです。
「試験を受ける」ということでさえ、「数ある戦術の一つ」に過ぎないのです。
もっといい方法があれば、それをとればいい。
「いい」「悪い」の判断の基準は、もちろん「戦略との適合性」でしょう。
じっくり「人生戦略」を若い人たちには立ててほしいと思っています。
究極的には「あなたにとって何が幸せですか」ということに他ならないと思うのですが、人間は一生考え続けなければならないのでしょうね。
そして戦略、戦術の微修正を常にしていかなければならないのでしょう。
抽象的な方法論(例えば記憶術、速読術、一般的な学習法)は、ある意味一つのイズムです。
武術の流派といってもよいかも知れませんね。
様々な流派を中途半端に学んでも達人にはなりません。
それは、一つの流派を極めた上で、他流を学ぶこととは似て非なるものです。
そういうことも考えていただければと思っています。
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