君は六甲生になれるか? | 帝都中学への算数 | 基本を鍛える
六甲学院中学過去入試問題より・・・割合やらつるかめ算やら
何を隠そう、私の母校であり、現在の校長は私の同期生。
6年生の12月に父を病気で亡くした私は、父の遺言により担任の進言でこちらを受験することになりました。
「灘でも甲陽でも合格できるとは思うけれど、万が一があるから、それがない六甲なら確実に親父さんの遺言に添える。もし万が一が起こったら私が怒鳴り込む。」と母は担任に言われたようです。
今から思えば、まぁ担任の気遣いだったのだと思いますよ。
担任は画家でもあった美術の先生で、保護者には「怖い先生」且つ「変人」で通っていましたが、クラスのみんなは同窓会にも先生を呼んでましたし、当時を悪く言う教え子はいないどころか懐かしんでいました…耳触りの良いこと言う人なんて、商売人だけですよ。
昔から、本当に良い先生はちょっとおっかない先生なんですよ。
私自身も、この担任の先生が授業だったかホームルームだったかで話された言葉が、どれだけ心に染みたか!
いまだに人生の尺度になっています。
まぁ、私自身はクラスの優等生から「頭のいい奴とは適当にしか付き合わず、〇〇や〇〇みたいな奴と付き合って平気な顔しているお前は変人だ」とまで卒業文集で書かれたほどで、中学受験の意味すら分かっていませんでした。
しかし、総じて振り返れば、私学ですから当然アホボンも中に混じってはいましたが、ノホホンとした中にイエズス会ならではの真面目な雰囲気を基本としたいい学校でした。
というか、人間としてのトータルで見ればAクラスの良い学校ではないかと思ったりします。
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