河盛好蔵『Bクラスの弁』~分に甘んじて、しかも心腐らず
今回は、花森安治氏の「自分の手で、爪に血をしたたらせて、こじあける」をご紹介した記事において河盛好蔵氏のエッセイ『Bクラスの弁』をご紹介すると記しておりましたのでこちらをご紹介しておこうかと思います。
何故、紹介したかったのかという動機ですが、ここ10年ほどの間でしょうか、Bクラスの存在自体が空洞化してしまう危機感が非常に強くなったということにあります。
学力の2極化は誰しもが感じるところとなっていたわけですが、その2極化の具合があまりにも尖鋭となって、社会の根幹を成すべき最も重要な中間層が不在になってしまう危惧を感じてしまうのです。
というか、むしろ妙な自信をもって自分をAクラスだと思いこむ人々が増えてきたように思うことが気がかりなのですが…。
『Bクラスの弁』は、今ではどこに収められているのかは定かではありませんでしたので調べてみますと、どうやら『私の人生案内 (河盛好蔵 私の随想選) 』に収録されているようです。
それほど長くないエッセイなのですが、それでも一部の引用だけでは概要を掴むことは難しいですので、先に河盛好蔵氏がフランス文学者であったこと及び大筋の流れをリストアップしておこうかと考えます。
故河盛好蔵氏は働き盛りの30代を立教大学の教授としてフランス語を教えられており、その時の学生との関り体験から生まれた随想が、この『Bクラスの弁』だと思われます。
『Bクラスの弁』の要旨フロー
- 私は久しく某私立大学の教師をしていた
- 入学試験の口頭面接で、官学の入試に失敗してやって来た諸君は概して態度が傲慢で、こんな学校には本当は入りたくないけれど兵隊にとられるよりはマシだから腰掛けだよオーラが露骨
- 最初から、本大学を志して来たれり諸君は何としてでも入学を許して頂きたいという熱望に眼を輝かせている
- 入学を許されると、官学入試失敗者はつまらなさそうに同級生をバカにした日々を送り、志で来たれり者は学校の空気に溶け込み、それなりに勉強し、ちゃんとした会社に就職し、立派に社会人として活躍
- 教室における出来栄えは、もちろん官学入試失敗者の方が優れている
- 教師は自分の学科をよく勉強しさえしてくれれば評価してしまうもので、私も当初は例外ではなく、それが学校の質の向上にも繋がると考えていた
- 自分ほどの能力の教師はこんな学校にはもったいないと自惚れていたことも要因としてあった
- しかし、長い間に自分の考えの至らなさに次第に気付き、自分の分に甘んじて、その場限りにおいてよくやっている凡庸な学生をこそ大切にしなければならないと悟った
- 世の中は、指導者にもなれず大して出世もしないであろうが、自己の権勢欲のために他人を犠牲にしたり悪事を企んだり進んでは国を売ったりすることがないであろう彼等によって支えられている
- 今度の戦争(大東亜戦争)を引き起こした元兇たちを詳しく調べてみるならば、いわゆる天下の秀才たちがその有力な分子をなしていることに人は驚くに違いない。
- 私自身がBクラスに属すること、その自覚のもとに生きなければならないことを悟った。
- 決して、自分を卑下したり過小評価することが趣味になったわけではなく、実力のあるBクラスになることはAクラスのエピゴーネン(亜流)になるより遥かにむつかしいこと
- 自分はもとより欠点だらけの人間だが、努力することなく、他人の長所・美点を虚心に認め、これに素直に感動する恵まれた性質を具えていることに幸福を感じている
- 他人の才能を素直に認めることは私にとって何もマイナスに作用することはなく、むしろAクラスのエピゴーネンになる愚かさから逃れ、Bクラスとしての存在を確立させようと自覚させてくれた立役者
- 世間の常識はBクラスはAクラスより一段程度の低いものとなっている
- この常識を一応は承認するが、私の考える「精神の世界」では、Bクラスも勉強すればAクラスになり得るというものではなく、Aクラスも怠ければBクラスに転落するという種のものではない
- Bクラスの人とは、ヴァレリーがデカルトの親友であったメルセーヌ神父について著した如く、その仕事の中に更に高次の才能を生む養いが含まれているような人である
Bクラスなみに完成することに彼等の存在の意味があるのではない。
Aクラスに至る道を作り、その地盤を用意する点に、彼らの使命があるのである
私たちが記した資料『天才ボーアを閃かせたバルマー先生』の中学の教師だったバルマー先生も天才ボーアが至る道を作ったと言えます。
近代物理の画期的な成果だった『量子論』は黒体放射のスペクトル等から始まり、それ自体がAクラスと思える叡智の集合体と言えますが、それぞれの叡智の中にはそれを支える叡智が入れ子のように重なっていることでしょう。
・・・