いい加減な勉強法で身を亡ぼすべからず | 帝都学習クリニック

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ルネ・デカルト『方法序説』に見る勉強法

ルネ・デカルト

少し思うところがあって、学生時代以来読むことのなかったデカルト『方法序説』を読み返してみました。

デカルトと言えば、【コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)】という言葉を思い浮かべることと思います。
この言葉は、『方法序説』の第4部に出てくる言葉です。

言うまでもなく、デカルト主義は近代合理主義・近代科学文明の礎となる哲学原理でしたね。

心身二元論や還元主義などデカルトの果した哲学的意味など、僕なりの考えはあるにしても、素人の僕になど語る資格はありませんし、そんな場ではありませんので割愛しますが、この『方法序説』第6部には、普通の僕たちの勉強する方法の本質と見事にマッチすることとしても読めますので、これは書き広める必然性があると考えご紹介しようと思います。

教えてもらうこと ≠ 知識や知恵が身に着くこと

他の人から学ぶ場合には、自分自身で発見する場合ほどはっきりものを捉えることができず、またそれを自分のものとすることができない。

まさに、『勉強方法序説』としての価値を持つ言葉ですね。
あまりにも有名な『方法序説』ですが、その正確なタイトルは『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(序説)』だそうです。

もちろん、他人から教えてもらわなければ僕たちは何も始まりません。
学校の先生や塾の先生から教えてもらわなければ何も始まりません。

しかし、ここだけでは『学ぶ』になっていないということだけは絶対に分かっていなければなりません。
絶対の絶対にです!
それこそが大切なんですね。

しかし、ほとんどの諸君はこのことが分かっていません。
授業を受けたから、塾の講義を受けたから、参考書を読み切ったから勉強したと思っているんですね。
そして、その割に成績が付いてこないのは、自分の頭が悪いからと思ってしまう。

あまりにも悲しく、しかも致命的な勘違いです。

この段階、即ち、インプットされただけの段階では、ただ知識を分け与えてもらっただけで、それ以上でもそれ以下でもないということを、今理屈なしに受け入れて欲しいと願うばかりです。

そうすれば、「では、何をすればいいのか?」という問いが湧き上がって来るのではありませんか?

他の人から学んだら(極論を言えば参考書を独学で学びさえすれば)、あとは「自分自身で発見する」ことに相当することをやらなくちゃ「全ては無に帰する」ということに他なりません。

 

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